合気道開祖の教え

5)神示

戦後は、宗教というものに「無関心」であったり、「有害」とさえ考える人が多くなっています。
戦後教育を受けた人は、宗教というと反科学的、或いは迷信そのものだと考える人が多いのではないでしょうか。
戦前はそうではなく、小泉八雲や内村鑑三の本には「宍道湖に注ぐ大橋川の川端で一斉に朝日に向かって拍手を打つ土地の人々」や「神社の前に差し掛かった時には、いちいち拝んでから通り過ぎた」ということが書かれています。
開祖はそのような時代に生まれた方です。
そのような時代背景を理解しなければ、この『神示』の重さを受け止めることは出来ません。

神示を受けるとはどういうことか、受けた人はどのようにそれに応えるのか、ということについて理解するのに、放送作家の和栗隆史氏の見聞が参考になると思いますので、 少し長くなりますが引用します。
「1991年の12月、私は『白い大陸』南極を訪れていた。(中略) 日本人グループのなかに一人、まだ40代半ばの男性がいた。仮にSさんとしておこう。Sさんは、ごく普通の会社のごく普通のサラリーマンだった。
妻も子もあるそのSさんが2週間の有給休暇を使い、200万円の小遣いをはたき、ひとりで南極に行こうと思ったのはわけがあった。 私は、そのわけを聞いて驚いた。(中略)

『で、Sさんは、どうして南極に行こうと思ったんですか』(中略)
ところがSさんは、その質問に答えようかどうしようかと少し迷った表情を見せた。そして言った。
『地球の軸が曲がっているというんです。だから、おまえが行って直して来いって』(中略)
『誰が言ったんですか。地球の軸が曲がってるって』
『あのですね。神様がです』
『エッ?』
『神様がですね。行ってこいって言うんです』
私の目をうかがうようにSさんは繰り返した。そのあと私は1時間あまりにわたってSさんが神様と話をするようになった経緯を聞いた。 Sさんが神様と話をするようになったきっかけは、ほかでもない『臨死体験』だった。
いきさつはこうだ。

とある会社の営業所を任されていたSさんは、忙しい仕事の合間を見つけては、地方を飛び歩き子供たちのためにボランティア活動をしていたという。(中略)
聞けば、旅費を切り詰めるため食事も満足に取らないでいた彼の活動は、ある意味で仏教で言う修験道や回峰行にも似たハードスケジュールだった。
自身も子供に苦しんだSさんは、それが自分に課せられた使命だと信じてボランティア活動に力を注いだ。
しかし無理は長くは続かない。
ある日のこと、地方を訪れていたSさんはついに力尽き、人里離れた山の中で行きだおれ同然に気を失った。
死を覚悟したという。
彼がはじめて神様と出会ったのは、そのときのことだ。
気がつくとSさんは、意識が肉体から離れるのを感じ、すべてをやさしく包み込む光と出会った。
そして神様の声を聞いた。
しばらくして村の人々が駆けつけ、Sさんは一命を取り留めた。
そのことがあって以来、Sさんは自分が以前と変わったと感じるようになった。神様の声を聞くことが出来るようになった。(中略)
変わったのはそればかりではない。
他人のからだの中の悪いところが、見えるようになった。そして患部にSさんが手を当てると、病が癒えることを発見した。
よくいう『ヒーリング』である。Sさんは、そうした力を自分自身の能力だとは考えなかった。神様が自分を通してやっているのだと理解した。
今も、その不思議な力を使って、周囲の病を取りのぞいているという。(中略)

南極大陸に上陸したSさんは、ひときわ高い山に登った。そして、曲がった地球の軸を直す祈りをはじめた。
まず、日本から持ってきたという水を氷の大地に注いだ。Sさんしか知らない山の中の湧き水だという。
次に、胸の前あたりに両の手のひらで玉をつかむようなポーズをとり、そして右手を前の方から天に向かって差し上げ、戻し、今度は水平方向に動かす。
ちょうど相撲取りが懸賞金を受け取る前に十字を切るようなジェスチャーをするが、あれをからだ全体で大きくやると考えればいい。
山のふもとで見ていた私には、気功師が人にするように、Sさんが地球を癒しているように見えた。(中略)
臨死体験をして不思議な力を身につけてしまったSさんは、ほかの誰かのためでもなく何のためでもなく、ただこの地球のために祈りを捧げた。」

開祖の神示は、昭和15年(1940)から数次にわたって受けられたようです。霊媒師に神憑りがあったり、ご自分でも神示を受けられたようです。 いくつかは重複しますが、神示を受けられた時のことについて述べられた部分を引用します。

「昭和12年(1937)には中西光雲、清雲夫婦を東京の板橋に訪ねた。これは岩間在住の大本教の信者である赤沢善三郎の紹介によるものであった。 昭和10年(1935)前後には岩間に土地を購入していたが、15年(1940)には農家の納屋を改造して8畳の神殿と、6畳の居間を作った。 同年の12月14日には午前2時から1時間の水行をした。
この時、中西光雲を前座(まえざ、神霊を統御して憑依を促す役)、秋山清雲(後の中西清雲)を中座(なかざ、神霊の乗り物となる役)として合気道に因縁を持つ神を降ろしていった。 すると43の守護神が降臨した。
初め猿多毘古の大神が降臨した。 そして国津龍王、九頭龍大権現、多ちからおの命(手力男命)と続き、天の叢雲九鬼さむはら龍王(速武産の大神)が降臨した。

天の叢雲九鬼さむはら龍王は、『我は植芝の血脈に食い込んでいるぞよ。 我は合気の守護神であるぞよ。汝は伊豆能売(いずのめ)となって、この世を禊がねばならぬ』との神示を下した。
『これは大変なことになった。そのような大きな神業をどうして行うことができようか』と思いそのままにしていたら、大病を患ってしまった。
身体の不調は1年余りも続いた。それまでは筋骨隆々とした体躯も、病気をしてからは無駄な筋肉の全てが落ちてしまった。
この時に、今までに習った技は全て忘れてしまった。改めて先祖からの技をやらなければならなくなった。(中略)
しかし、この時には合気道の本質は未だ現れ出ることはなかったのである。 この時期は『魂』を主とする真の武道たる合気道が世に出るための試練の時期であったと言えよう」

「光雲夫妻は、昭和17年から言霊による『古事記』の本格的な解明に取りかかった。 清雲が常陸言代主(ひたちことしろぬし)の命を降ろして、口述するのを光雲がノートに記していったのである。
これは23年まで続けられ日々、2万字から3万字もの口述がなされた、戦争も敗色が濃厚になった頃、昭和17年12月16日午前2時より1時間にわたって、日本中の神々が現れて合気の出現を寿いだ。

『天地合体した松竹梅の剣が、この世を禊ぐために世に出ようとしているぞよ。そのためには大東亜戦争を止めさせなければならぬぞよ。 世の人々は困っているぞよ。若い者は次々に死んで行く。それは国土の因縁、罪障の処理ができていないからであるぞよ。 広島と長崎に大きなことが起こるぞよ。汝に神をつける。汝にはご苦労なれど速やかに神の宮と武産合気の道場を建ててもらわねばならぬぞよ。 そうすればこの戦は終わるぞよ』

この神示も大きな神示であった。原爆のことも神示にあった訳であるが、とても口外できるような時代ではなかった。
いつまでも神示を実行しない訳にはいかないので、とにかく神示のままに宮と道場を建てようと思った。
神示が正しければ戦争は終わるだろうと思ったのである。そして合気道の「産屋」として合気神社を建てた。19年の秋であった」 (黍野弘著『わが古事記への道』に、「光雲は、奥方の清雲を霊媒として、合気道の植芝盛平に〔正確に言えば植芝翁の守護大神・天叢雲九鬼佐無波羅竜王から御下命をうけて〕、 猿田毘古命から「天武産巣合気業」をさずけるのを手助けした人物とされる。 なぜ直接、天叢雲九鬼佐無波羅竜王が指導しないのかは天津神だからで、故に国津神の猿田毘古命が行う」とある。 中西清雲には『巫道記(ふどうき)』という著書がある。)

「このことはすべて猿田毘古の大神のお導きにして、昭和17年12月16日、午前2時より3時の間、日本中の神々が現れて合気の出現を寿ぎたまう。 大和魂の錬成、松竹梅の剣法、天地合体して両刃の剣、精神の発動によって世の濁りを洗う。それには第一にこの大東亜戦争を止めさせねばなりません。 あまりにいうことが大きいのではじめお受けしかねましたが、各地からいうてくるので御神意により、岩間に36畳敷きの合気神社を建てました」

「この武産の言葉はいつ頃開祖に現れたものであろうか。 翁(開祖)に、御神示として降ろされたのが、昭和17年であったことが、最近の調べで分かったのであるが、どのようにして、翁に降ろされたか、その詳細を知ることはできない。武産の言葉が降ろされたのは、猿田彦大神の御神示と記されている。 その御神示を列記して、大神が、翁に対して何を与えようとなされたのか、いま、その奥を覚りたいと思うのである。

  • 武産の武を法座を以て使命付けられてゐるものは汝一人以外に過去現在にない。この有難い使命を精神を以て達成する様努力を以て貫け。
  • 魄の武と組織に対しては隠居して終え、隠居する年になって武産の武の使命が大神から授かった因縁を思え、魄をすてて魂に精進して武産の武を楽しんでいたせ。
  • 無手の戦いは魂(こん)のひれ振りじゃ。武産の武の精進は茲(ここ)から出発するのじゃ。
  • 型を破って型なき型を工夫せよ、いくらでも機に応じて型が形に添って結び生じる。これが魂の武産である。自在の生みの氣を結ぶことが肝要ぞ。
  • 自然の力、仕組を念頭において、之に合う所の自然の武を生み出すのが武産なり。常に新しきを生み出すのが武産である。
  • 皆、空に愛の氣を生じて一切を抱擁する。之、武産なり。
  • 種を有しても大地が愛をすくってうけてくれねば結び生ぜぬ。故に、初の兆の愛の氣に結びて武産の愛の氣を以て業を生め、一時のからくりでなく、神業の神力が生じてくる。
  • 魄の観念信念にとざされて、常に気ぜわしく、心乱して、物の仕組に明け暮れ、心を煩わすのは、武産の精進とは、はるかに違ふぞ。
  • 天地の理に即応した変化自在の創造が武産の本義なり。
  • 武産の武は、形より心を以て、本とし、之の魂のひれぶり、武としての活躍なれば、之大神の愛の氣結(きむすび)である。
  • 自然の力、仕組を念頭において、之に合する所の自然の武を生出すがのが武産なり。
  • 武は常に変化を以て生命とする。常に恒に新しきを生み出すのが武産である。
  • 型を破りて型を創造生成発展すべし、武産の武は廣大且つ微妙なり。
  • 武を授ける時は、武産のことあげを用いよ。
  • 眞の武は武産の意義を明(あきらか)にするにあり。
  • 武産には眞の自在がなければならない。魄には行き詰りが来る。
  • 魂のひれぶりは自在にして極りなし、これ武産の極意なり。武の極意は形はない、心自在に生ず、これ極意なり。
  • 形をすてて心の精進を第一義として武産の武を火の玉となって求めよ。魂の土台がしっかりと中心に定まらねば、枝葉の術や、仕草は、無駄となるぞ。
  • 武産の武に精進するは魄の為にあらず、これ魂の縁の結びなれば、よく肝に銘じて心得よ。
  • 魄は人の身にとりて必要なもの故、其眞義を悟りて魂のひれ振りは此魄の表れによるもの故、身と心、二つが一つになって武の変化を生む故、なくてはならぬ魄である。
    只、魄を主として心を第二にする順序の、転倒、矛盾を正すために魄をすてろと申すので、決して魄を不要とするに非ず、魄はむしろ大切なものである。
  • 今日まで、神の使命にたずさわりて武をなしたる者、一人もなし、植芝として感泣して精進せよ。

大神が翁に授けた神示は、まことに厳しいものであった。

翁は御神示を受けられた頃は、戦争中でもあり、心身共に疲労の極に居られたと思うのである。
それは、それまでのある年月を、魄の世界を御自分の意志に反して歩かざるを得なかったことから、生じたことである。
その極に達したとき、大神の御神示が降ったのであろう。
これからは魄では駄目だ、魂の世界を火の玉になって精進せよと警告されたのである」
「猿田毘古大神が皇大神(すめおおかみ、天の村雲九鬼さむはら竜王)のみ言(こと)をもち、私に武産合気が下ったのです」
「合氣道開祖植芝盛平翁に、昭和18年10月20日に御神示が下された。
『武産の武を法座を以て使命付けられてゐるものは汝一人以外に過去現在にない。この有難い使命を精神を以て達成する様努力を以て貫け』
植芝盛平翁は終戦後、新しく合氣道として禊わざを始められたのである」
「天の村雲九鬼さむはら竜王、この御名の中に合気の技ことごとく含まれ、汝は血縁結んでおるぞよ。すなわち私が伊豆能売命になったわけであります。 伊豆能売とは経魂たる荒、和、二魂の主宰する神魂を厳の御魂といい、緯魂たる奇、幸二魂の主宰する神魂を瑞の御魂といい、厳瑞合一したる至霊魂を伊豆能売の御魂というのです」

開祖に神示が降った意味を考えていると、孟子の次の言葉が思い浮かびます。神人合一の武道を目指す過程でのお二人のご子息の不幸、 第二次大本事件の危機、心ならずも破壊殺傷の術として軍部に教えなければならなかった日々、決して順風満帆ではありませんでした。
「天の将(まさ)に大任を是の人に降(くだ)さんとするや、必ず、先ずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その体膚(たいふ)を餓えしめ、 その身を空乏(くうぼう、貧しいこと)にし、行うこと其の為さんとする所に払乱(ふつらん、食い違うこと)せしむ。 心を動かし、性を忍び、其の能くせざる所を曽益(そうえき、増やすこと)する所以なり」(孟子『告子下篇』)

神示によって、『自然の力、仕組みに合する武』『武産の武』『魂のひれ振りから出発する武』 『形(目に見えるもの)より心(目に見えないもの)を本とする武』『愛の氣を生じて一切を抱擁する武』を完成させる使命を負わされ、 精進を求められました。
神示に見える『魂』は心と同義で、精神を統御するたましいのことです。
「魂の気というのは、宇宙組織の気である。造り主の事である」と言われています。
『魂の気』は『真空の気』と同義です。『魄』は肉体・物体と同義で、心を宿す形あるものを統御するたましいのことです。
「魄は物の霊を魄という、宇宙組織のタマのひびきが魂である」と言われています。
『魄の気』は『空の気』と同義です。神道では、『魂』は陽で精神活動を司り、『魄』は陰で肉体的・生理的活動を司るとされています。