合気道開祖の教え

12)おわりに

冒頭にご紹介した開祖のお話にあるように、合気道は自分で見出す必要がある武道です。
そのため、技や考え方は、それぞれの先達の工夫によって多様性を持ったものになっています。
この多様性は、進歩を育む泉です。
どれでなければいけないというものはありませんので、多様な教えの中から自分でこれというものを見出して行けばよいと思います。
根本は「宇宙の真象を眺め、己れに取り入れよ」です。
自得が求められていて、細かいことが教えられないのは、私たちの「自由な発想を妨げないため」です。

修行の目標について触れなかったので、その部分を列挙します。
「地上天国建設」と共に合気道修行の目標として、これが何であるかというイメージ(ビジョン)を持って稽古することが到達への道だと思います。

「修業は、神人合一を目標とするものなり」

「そして合気の武技は天の理法を体得して、霊肉一体の至上境にまで到達するまでの業であり道程なのです」(神示に基づく言葉)

「合気道の道統は、各自が宇宙と自己との一体化を成就することをもって究極の極意とする」

「極意とは自分を知り、理を究めて、合気をもってみそぎの技とする」

「合気道は自己を知り、大宇宙の真象に学び、そして一元の本を忘れないで、理法を溶解し、法を知り、光ある妙技をつくることである。 そこで合気道は形はない。形はなく、すべて魂の学びである。すべて形にとらわれてはいけない。それは微妙な働きが出来なくなるからである」

最後に、まとめていて気付いたことなどを述べさせて頂きます。

「合気道とは、天授の真理」です、「宇宙万世一系の理道」です。
このように、開祖は、はっきりした真理を見出されて(与えられて)、それに基づいて述べられています。
同じ概念を別の言葉で表現されたり、同じ言葉で他の概念を説明されたりもしていますが、すべてその真理を知らしめんがためです。

短い文章の中で、同じ概念をいくつもの別の言葉で言い換えて説明されていることがあります。
例えば、「合気道は無限の力を体得することです。魄(肉体や物質)の世界は有形であります。
もの(肉体や物質)の霊を魄といいますが、これ(無限の力)は気力といいます。
合気は魂の力です。これを修行しなければなりません」という中で、『無限の力』『気力』『魂の力』は同じことの言い換えです。
そして、これは『呼吸力』についての説明です。
『呼吸力』という言葉は『合気神髄』と『武産合氣』に出て来ませんが、昭和17年頃には遣われていたそうです。
『気の力』のことで、『合気神髄』には『阿吽の呼吸の理念力』(p.12)、『気魂力』(p.53)、『魂の力』(p.102)などという言葉で出ています。 道文をよく読めば、「相手を無力化する」ものでないことが分かると思います。

道文が難解なのは、目に見えるもの(動作、技)を説明されているのではなく、目に見えないもの(気、魂)を説明されているからです。
武道の奥義が述べられていると思えば、難解なのは当然ですが、開祖は、その奥義を隠そうとされているのではなく、「地上天国建設」のために皆に 真理を明らかにされようとしていますので、難しい言葉もどこかに説明や定義がされていて、意味が分るようになっています。
そのため、主要な言葉については索引を作った方が、関連が分かって良いと思います。
電子化して検索機能が使えるようにすると、次から調べ易くなり、もっと便利かと思います。
少し拾ってみたところで、『合気神髄』の中には、『天の浮橋』『魂の比礼振り』『正勝、吾勝、勝速日』が多く出てきます。
当然かもしれませんが、『宇宙』『気』『魂』『愛』に関する言葉も多いことが分かりました。

このまとめをしようと思い立った当初は、開祖の教えのポイントがはっきりとはしていませんでした。
それが、まとめている内にはっきりして来て、私なりに理解出来るところまで近付いて来た感じです。
私も続けて道文の研究を進め稽古に生かしたいと思いますが、後々の方で啓発される方がいれば、私の理解を踏み台にして、より開祖の教えに近付くように修正して頂ければ大変うれしく思います。

ここでは、『真の合気の道』を完成された時期を昭和25年頃と推定していますが、『合氣道』の後に載っている「道主を中心とした或る座談会」(都下の某新聞紙上に十日間にわたって掲載されたもの)の中で、 「それが七年前、真の合気の道を体得し」(p.200)と話されていることからの推定です。
昭和20年頃だろうと言っておられる方もいますので、昭和20年(白い幽体との稽古)〜25年の間のことかと思います(この『合気道開祖の教え』は平成20年11月にまとめたものです。)。

『魂の比礼振り』の読みは、『武産合氣』をまとめられた高橋英雄先生にお聞きして、開祖は「こんのひれぶり」と発音されていた、と伺いました。
開祖は録音機器を使うことを嫌われたので、耳で聞きながら筆記されたそうです。
本文中で触れましたが、これは精神の状態を表すものではなくて、手を動かすという動作を表す言葉だと思います。

『地上天国建設』は、この文章を読んで下さった、大本 東京本部長代行 森良秀先生のお話では、大本の宗教的な目標であるとのことでした。
森先生のお話で、開祖の合気道の目標も、これと一致していたという認識を強くしました。

合気道本部道場の増田誠寿郎先生からは、「翁先生(開祖)は、大本以外にも、これは良いと思われたことは次々と取り入れられた」とお聞きしました。

最後になりましたが、ご教示いただきました先生方に心からの感謝の意を表します。