合気道の歴史

合気道は植芝盛平翁(1883~1969)によって創始された武道です。
日本古来の柔術、剣術、槍術など幾多の武術の研鑽に加えて、自分とは何か、宇宙とは何かという人格的研鑽によって生まれた新しい武道です。
合気道と称するようになったのは昭和17年(1942)で、戦前は入門がしかるべき人の紹介を受けた人に限定されていたので、ごく限られた人の間でしか知られていませんでした。

昭和5年(1930)に柔道創始者の嘉納治五郎師範が目白にあった道場を訪れられ、つぶさに演武をご覧になりました。
そして「これこそが、真の柔道である」と感嘆され、4人の高弟(長岡秀一、武田二郎、望月稔、村重有利)を講道館から派遣され、指導を要請されました。
開祖(盛平先生)は、その人柄と技量が卓越していた故か、この他にも武道界の高名な方々と交流がありました。
剣道界では中山博道氏、高野佐三郎氏、甲賀流忍術の藤田西湖氏、神道自然(しんどうじねん)流空手の小西康裕氏などです。中山博道氏の関係で神道無念流有信館の羽賀準一氏、中倉清氏とは特に深い交流がありました。

小西康裕氏は、『空手道入門』の中で合気道と開祖について次のように述べられています。
「合気道の植芝守高(盛平)先生は、武道界特異の存在である。先生は幼少の頃から膂力(りょりよく)衆にすぐれ、しかも、あらゆる武術を稽古された現代稀にみる達士の人である。従って植芝先生の合気道を単一的なものではなく、各流武術の粋を集めた素晴らしい綜合武術であると賞賛する人もある位である。しかし、実はそれは誤りで、先生ご自身の口から、常日頃、自分の合気道は決して他流の粋を集めるといったいわゆる綜合武術ではないと、門下その他の人々に語っておられるのである。先生の合気道は、事実、不抜の信念と一種の霊感から生れた先生独自の創案で、しかも思議することのできない剛柔兼ね備えた精妙な武術である。その驚嘆すべき魅力は一抹の神秘性さえ漂わし、まさに他の追従を許さない植芝先生独特のものとして既に定評のあるところである。現にある武道師範などは『植芝のあとに、植芝なし』とまでに激賞しているのである。」

開祖は、戦争が終わって一段と心境が進み、合気道も敵を制するというところから離れ、相手を生かす愛の武道へと変化を遂げます。
そして、昭和30年(1955)頃から演武での公開が行われるようになり、大学の部活動に取り入れられて、ようやく一般にも知られるようになりました。
現在は、文部科学省公認の財団法人 合気会を中心に活動を続けています。

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