合気神髄・武産合氣 要約


『合気神髄(合気道開祖・植芝盛平語録)』・『武産合氣(合気道開祖 植芝盛平先生口述)』に開祖の教えが残されていますが、理解のためには、まず教えの概念を大雑把に掴み取ることが大切であると思います。別の言葉で言えば、当たりをつけるということです。その概念を要約すると次のようになります。参考のため、それぞれの概念に関連する教えを引用して付します。

@ 開祖が『真の合気の道』即ち『武産合気』、『愛の武道』を完成されたのは66歳か67歳(昭和25年(1950)頃)の時で、それは開祖に降ろされた神示(神様のご命令)によって出来た。

「それが七年前、真の合気の道を体得し、「よし、この合気をもって地上天国を作ろう」と思い立ったのです」(合氣道p200『道主を中心とした或る座談会』)
「このような今日の時代になって、神示によってはじめて現れたのが武産合気である」(武産p56)

A 神示が降ろされたことにより、この神の負託に応えるため、今まで習った武術を忘れ、改めて『宇宙の真象』を眺めて武の本質を求める研鑽を積まれた。また、それを『言霊』によって解き明かそうとされた。武技の工夫も尋常ではなかったが、自分とは何か、宇宙とは何かという哲学的思索と宗教的修行を重ねられた。これが人格的研鑽(精神科学)と称されるものである。その結果、「人間は一霊四魂の分霊分身である(我即宇宙。天地同根・万物一体)」というのが『宇宙の真象』であって、合気道の気の力(呼吸力)は、天地創造の神(愛)の力即ちむすびの力であるということを悟られた。

「合気道とは、宇宙の万世一系の理であります。合気道とは、天授の真理にして、武産の合気の妙用であります」(武産p28)
「合気道は、宇宙の真理に合した道である」(神髄p114)
「合気道は、魂の学びである。魂魄阿吽の呼吸である。また、合気道は宇宙の営みの御姿、御振舞いの万有万神の条理を明示する大律法である。・・・我々は正勝、吾勝、勝速日の精神をもって、天の運化を腹中に胎蔵して宇宙と同化、そして宇宙の内外の魂を育成して、かつ五体のひびきをもってすべて清浄に融通無碍の緒結びをして、宇宙世界の一元の本と、人の一元の本を知り、同根の意義を究めて、宇宙の中心と正勝、吾勝、勝速日を誤またず、武産の武の阿吽の呼吸の理念力で魂の技を生み出す道を歩まなくてはならない」(神髄p12)

B そして、今までの、強い者が弱い者に勝つ魄(体主霊従)の武術から、それを土台とし、霊(気)が主体となった魂(霊主体従)の武道『武産合気』を創始された。この魂の武道は、『真空の気と空の気のむすび(むすびの力)』即ち『魂の比礼振り』を根幹とするもので、宇宙一杯に広がって争うものがない『愛の武道』である。これは、武術を単に理念化・宗教化したものではなく、真の武を深く掘り下げた結果、この理合が宇宙の真理・宗教的真理そのものであったというところの悟りに基づくものである。この確信を深められた結果、この真の武を表わすのに不変の真理(宇宙の真象)について述べた言葉、即ち『古事記』や『霊界物語』などにある神道的な言葉や概念を用いられた。

「真空と空のむすびのなかりせば合気の道は知るよしもなし」(道歌)
「この世は悉く天之浮橋なのです。ですから各人が、信仰の徳によって魂のひれぶりが出来るのです。表に魂が現れ、魄は裏になる。今までは魄が表に現れていたが、内的神の働きが体を造化器官として、その上にみそぎを行うのです。これが三千世界一度に開く梅の花ということです。これを合気では魂のひれぶりといい、又法華経の念彼観音力です」(武産p67)
「武道と神ながらの道、これまでの武道はまだ充分それに達してはいなかった。なぜなら、今までが魄の時代であり、土台固めであったからです。すべて目に見える世界ばかり追うと今までのようなことになり、それではいつまでたっても争いが絶えない。目に見えざる世界を明らかにし、この世に平和をもたらす、それこそが真の武道の完成であります」(神髄p128)
「武道の奥義も宗教と一つなのであると知って法悦の涙にむせんで泣いた」(武産p131)

※ 開祖は言霊的発想をされる方で、頭の中がハイブリッド構造になられていると思われます。それで、駄洒落や和歌の掛詞のように、まるで連想ゲームをしているかのように、次々と異なった言葉で意味を重層させながら表現されているようです。
『大和魂の錬成』の『大和』に『和合』とか『日本→日の本(ひのもと)→霊の本(ひのもと)→霊主体従(ひのもと):人間の主体である霊に体が従う→魂によって魄を動かす』を掛けられたり、『魂の比礼振り(こんのひれぶり)』を『魂の霊出振り(たまのひでふり)』と表現されたりしていることは、この例に漏れません。
『魂』『霊』『真空』『目に見えざる世界』が同じ意味で、『魄』『体』『空』『目に見える世界』が同じ意味になります。
『真の武』というのは、大正9年(1920年)に大本の出口王仁三郎師から諭された次の言葉に出てきますが、これが開祖の言われた『真の合気の道』に当たります。
「わしの近侍になりなさい。本部づとめなどは向いとらん。人事や雑務に巻きこまれてはあかん。あんたはな、好きなように柔術でも剣術でも鍛錬することが一番の幽斎になるはずじゃ。武の道を天職とさだめ、その道をきわめることによって大宇宙の神・幽・現三界に自在に生きることじゃ。大東流とやらも結構だが、まだ神人一如の真の武とは思われぬ。あんたは、植芝流でいきなされ。真の武とは戈を止ましむる愛善の道のためにある。植芝流でいきなされ。大本の神さんが手伝うのやさかい、かならず一道を成すはずじゃ」(合気道開祖 植芝盛平伝p116)
『神人一如』は『神人合一』、『愛善の道』は『万有愛護』と同じ意味です。
『万有愛護』は単に理念としてではなく、『和合』『無抵抗主義』『相手の気は相手にまかす』『愛の念力』『念彼観音力』『心をむすぶ』『相手を包むような雄大な気持ち』という合気道の呼吸力に関する根本的な理合となります。
「修行は神人合一を目標とするものなり」(神髄p159)
「日本の真の武道とは、万有愛護、和合の精神でなければならない」(武産p91)

C 開祖が創始されたこの『武産合気』の道は『愛気即ち合気』の道、『合気道』として敷衍されたが、これはまた、天地同根・万物一体の理から気の妙用・言霊の妙用の技そのものが、そのまま地上天国建設・宇宙建国完成の祈りとなる行、即ち神業でもあった。

「全大宇宙はみな同じ家族であり、世界から喧嘩争いや戦争をなくす。この世界は美しき愛の世界、一つの造り主の愛の情動の世界であります。愛がなければ国が、宇宙が滅びる。愛より熱も出れば光も生じ、それを実在の精神において行なうのが合気道であります」(神髄p125)
「合気道はいつもいう通り、世の立直しにご奉公することです。立直しとは、濁った世界を清い清い平和の世界にすることであります。それをするには、自分の立てかえ立直しからはじめなければなりません」(武産p176)
「合気道の修行に志す人々は、心の目を開いて、合気によって神の至誠をきき、実際に行なうことである。・・・心ある人々は、よって合気の声を聞いていただきたい。人を直すことではない。自分の心を直すことである。これが合気なのである。また合気の使命であり、また自分自身の使命であらねばならない」(神髄p115)

D 気の妙用・言霊の妙用を行うためには、宇宙の霊妙なる精(妙精、精気、エネルギー)を自分に取り込むことが必要であると教えられているが、開祖は、妙精吸収のために顕斎・幽斎、下座の行などを積まれている。

「修法は、指を結び目をつぶって下さい。すべて心が定まってくると姿に変わって来る。深呼吸のつもりで魂で宇宙の妙精を集め、それを吸収する。なぜかといえば自分に必要だからみな吸いとるのだ。まず自分の腹中を眺め。宇宙の造り主に同化するようずーと頭に集め、造り主に聞く。すると気が昇って身中に火が燃え、霊気が満ちて来る。それでいいのです」(神髄p128)